宇宙船地球号の行方

各地で梅の花が見ごろを迎えています。
花はやがて実となり、梅干しなどに加工されますが、この梅の実は、根から吸い上げた、水や栄養分を幹や枝を経由して立派に成長します。
自然界の営みには、いつもながら関心いたします。

それに比べ地球の人間界(自分自身も含め)は…欲の赴くまま狡猾的に、全てを壊しながら邁進しているように見えます。
また、この国の政界では、政治倫理審査会なるものを各メディアが取り上げ、国民の目をくぎ付けにしているその裏で、国会を通さず国際的なトンデモない法案を決めようとでもしているのでしょうか?なんだか人間(国民)だけが、日々の生活に追われているうちに、心の欲するところ自体がわけわからなくなっています。
正道から何処をどう外れているのか、何が自然なのかさえ認識できず、内なる自然も外の自然も壊していき、そのうちに心そのものが委縮して、劣化してきてしまった感じがします。その結果、精神を患う人が増え続けています。
かつて、地球を宇宙船に例えて『宇宙船地球号』と表現したのは、建築家・思想家をはじめ様々な肩書を持つ、アメリカのバックミンスターフラー氏です。
1968年、氏は『宇宙船地球号操縦マニュアル』を著し、地球上の資源の有限性や適切な使用について問題提起し、経済学や環境学など、多くの分野に影響を与えました。
その『宇宙船地球号』の乗客である私たち人類は、1900年あたりを前後に地下深くに埋蔵されている石油、石炭という化石資源を見つけることになりました。
その後、この化石資源をエネルギー源として、様々なモノを作りきわめて高度な技術を確立してきました。
その結果、バブルのように急激に発展してきて、今の社会があることになります。
『地球は無限で、劣化しない』と思った人類は、何をしても地球に戻しておけば、要するに川や海に流したり捨てておけば、何時かは地球が処理してきれいにしてくれるという前提で、すべての人間の活動が成り立っていました。ところが、実は地球はそうではなかったということに気づいたのです。
人間の活動いかんによって地球はもう無限でなく、劣化する惑星であることを、深く認識することになったのです。今、それを否定できる人間はいないと、私は思います。
そもそも人間は、産土『国津神』地上の神、『天津神』太陽や月に象徴される天上の神のワケミタマと呼ばれていましたが、…。
以下は、(積哲夫著:最終知識より抜粋)
『よくも悪くも原初の神を殺し、封印した、原初の神の子である神々の子であることを自覚することなく生きてきた。神の子であるという認識は、多くの宗教的知識の中にあり、人間は神の容器なのだということも語られてきた。人間が神の能力に近づき、発揮するだけの潜在的能力を持った、きわめて危険な存在であるということも意味している…』
きわめて危険な存在である人間の潜在的能力が、地球を劣化させながら歪んだ市場経済を作り「今だけ、金だけ、自分だけ」という共同幻想の世界を創り出したと考えられませんか?
梅の花は、大地に根差した『根元』につながっていてこそ立派に結実します。
私たち人間は、枝葉のことを気にし過ぎて、何事につけても本を忘れがちであります。
『本を忘れず、末を乱さず』この格言が、いま、私に気づきを与えてくれました。

株式会社たずさえ社 代表 前島 秀幸 拝